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秋葉原(あきはばら、あきばはら)は、東京の秋葉原駅周辺、主として東京都千代田区外神田・神田佐久間町・神田花岡町および台東区秋葉原周辺を指す地域名である。
戦後の日本において、高度経済成長とともに多様な電子関連の機器や部品(ハードウェア)およびソフトウェアを取り扱う商店が建ち並ぶ世界有数の電気街として発展した。世界的な観光地の顔も有する。秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称で呼ばれる。
当初はジャンク品の商店とそこから発展した家電販売店が中心の電気街であったが、高度経済成長を経て音楽ブームを背景としてレコードやCDを取り扱う専門店が軒を連ね、その後は電子ゲームブームの到来とともゲームショップが繁盛した。この電子ゲームブームが本格化すると仮想空間を嗜好する需要に着眼したホビーショップやアニメショップも建ち並ぶようになった。近年では規制緩和に伴って外資も参入し、再開発により駅を挟む形で多くの複合ビルが建設され、訪れる年齢層も様々になっている。
地理的概念で言う秋葉原とは、東は昭和通り、西は昌平橋通り、南は神田川、北は蔵前橋通りに囲まれた区域、すなわち東京都千代田区外神田・台東区秋葉原を指す(台東区秋葉原という住所表示は1969年10月1日にJR秋葉原駅から北へ約300メートルの場所に誕生した)。秋葉原電気街とサブカルチャー関連の店舗は主に秋葉原駅周辺および中央通りの万世橋北詰から東京メトロ銀座線末広町駅のある外神田5丁目交差点までを中心に広がっている。 JR秋葉原駅には東西に総武本線、南北に山手線・京浜東北線(東北本線)が通り、東京メトロ日比谷線秋葉原駅やつくばエクスプレス秋葉原駅とも接続しターミナル駅として多くの人に利用されている。住所表示では電気街口前が外神田1丁目、その北の中央通り東側が外神田4丁目、西側が外神田3丁目となっている。
秋葉原電気街の外側は主にオフィス街だが、古くから建っている民家も見ることができる。前述のように鉄道各線の駅が近く、都心の一等地として地価・家賃ともに高価になる傾向がある。
「世界有数の電気街」として有名。日本全国はもとより、世界各地から観光客が訪れ、まさに「世界有数」である。
だが「家電量販店がひしめき合っている」、「家電品が安く買える」という意味での電気街は、バブル崩壊後の不景気による節約志向や、郊外に店を構える大型量販店が台頭してきたこともあって1990年代から徐々に衰退の方向にあり、扱われる機器類・ソフトウェア類にも時代の変遷が色濃く現れている。
一方で、一般向けの量販店が通常取り扱わない電子部品を扱う販売店(その多くは終戦直後に神田須田町界隈のヤミ市で露天商として創業したが、GHQによる区画整理で現在の地に移動した)は現在でも秋葉原駅近くの総武線ガード下を中心として根強く生き残っており、「秋葉原電気街」の源流は今もなお命脈を保っている。これらの商店では他では得難い部品も多々流通している。
秋葉原は電気街だけでなく、かつては青果市場の町としての側面もあった。1989年に大田市場に移転するまでは、秋葉原駅前に神田青果市場が存在し、神田市場向けに営業していた飲食店や青果店が多く軒を連ねていた。市場跡地は再開発で秋葉原クロスフィールドへと生まれ変わったが、当時から変わらず営業している一部の青果店が往時を偲ばせている。また、秋葉原駅には1970年代まで貨物駅があり、当時運輸会社が秋葉原周辺に数多く存在していた。日本通運が2003年まで秋葉原に本社を置いていたのはその名残でもあった。
他方で秋葉原は古くはハイファイオーディオやアマチュア無線さらには音楽(特に輸入版ソフト)の愛好家、そしてパソコンマニア(いわゆるおたく)たちが集まるサブカルチャー、マニアの街という側面が存在する。衰退しつつあった家電量販に変わり1990年代には当時普及しつつあったパソコン関連の店が増加してゆき、1990年代後半にはそれらのPC・IT関連の店だけでなく、アニメ・ゲームマニア向けのソフトウェア(コンテンツ産業の商品を含む)を取り扱う店が増えてくる。最初のうちはアニメやゲームを好むのは一部の人間だけとされていたが、次第にオタク文化が広く大衆化し、秋葉原での家電販売が1990年代以降不振であったことと逆に、好調に推移するコンテンツ産業の中心地として注目されていった。こういった文化や秋葉原に集う人々の総称として2000年代中頃に「アキバ系」という言葉も生まれた。
秋葉原という街全体がコンテンツ産業の商品を幅広く扱うサブカルチャーの街となってからはマスコミに秋葉原の文化が頻繁に取り上げられるようになり、この頃より秋葉原電気街は「サブカルチャーの聖地・アキバ」として世界に広く知られる様になる。こと21世紀に入り日本のコンテンツ産業が世界進出に積極的になると海外の人々もアニメや漫画に興味を持ち秋葉原を訪れるようになった。
2005年のつくばエクスプレス開業とヨドバシカメラマルチメディアAkibaの開店は秋葉原の大衆化に拍車を掛けることとなったが、その一方で古くより秋葉原に地盤をもっている家電量販店は販売不振から、店舗の統廃合や撤退が相次いだ。同年には電気街口北側の駐車場跡(かつての神田市場の跡地)に秋葉原クロスフィールドの施設として、産学連携プロジェクトやオフィス機能などを持つ秋葉原UDXや秋葉原ダイビル、住居用高層マンションの東京タイムズタワーも誕生し、ヨドバシカメラと並びそれまでの秋葉原のイメージとは大きく異なる存在感を放っている。この頃より路上での販売行為に対する監視が厳しくなった。それまで裏通りの路側帯の内側に陳列することで摘発されないという暗黙の了解が存在していたが(通称「白線ルール」[1])、2006年以降は警察より厳重に注意を受けるようになったため、出店者はビルの敷地内や駐車場を利用して出店するようになった。
2008年より東京都交通局が運行を開始した観光路線バス「東京→夢の下町」の経由地に秋葉原が含まれているなど、秋葉原は現在急速な観光地化が進んでいる。休日の秋葉原ではオタクな男性だけでなく、女性だけの集団や、カップルで歩いている姿も珍しくなく、カメラを手にした外国人観光客もあちらこちらで見ることができ、近年の「秋葉原電気街」の変化は特に著しいものとなっている。
電気街と山手線を挟んで反対側に位置する昭和通り側は住宅と大小さまざまな企業が密集したオフィス街となっており、平日には多くのサラリーマンやOLが歩いている。なお、用途地域は全域において商業地域である。
前述した通り秋葉原は電器店街として国際的にも知られている街であるが、そこで扱われている商品は時代に合わせて激しく変遷しており、必ずしもエレクトロニクス関連の商品ばかりというわけではない。/p>
電気街の元祖ともいうべき、戦後のラジオ部品販売(初期には日本軍や米軍からの真空管などの電子部品のみならず、戦車の転輪等の放出品があったという)に由来するもので、派手さこそないものの総武線ガード下を中心にICやコンデンサ、電子小物などの販売店が営業中である。これら零細店舗も、事業の発展により部品卸業者として成長し本社機構は近隣のビルに構えてガード下店舗はパイロット店として営業を行っていることも珍しくない。
部品が一つずつ購入できるので学生や研究者が実験などに使う部品を調達したり、メーカーの技術者が開発中の商品用のちょっとした部品を秋葉原で調達することも多い。製造中止となった部品の中で需要の根強い部品(特定型番のゲルマニウムトランジスタなど)については供給が追い付かず品薄となり、今では入手不可能となったものも存在している。
電子部品に限らず、工具や測定器から線材・ネジ・ケース類・結束用部材などの、電気工作や工事に必要と思われるものは、およそなんでも調達でき、電気・電子関係と目される機器製作においては、ほぼ秋葉原内の店舗を巡るだけで、必要な工具や資材が入手可能である。電子部品調達という点では、秋葉原は今でも世界一の「電気街」と言っても過言ではない。
後に総合家電量販店となった店舗も、最初は業者などを相手にした小売・卸売店からスタートしている場合が多い。1960年代から1970年代にかけ、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・ステレオなどが一般に大量普及していく過程で、多くの店が現在のような家電量販店業態に転換、全盛期には関東地方全域・新潟県・山梨県・静岡県辺りまで商圏があったといわれる。
しかし、長年の慣れ合いによる放漫経営に加え、効率性で劣るペンシルビル型の店舗が多さや、駐車場を併設する店舗が少ないという利便性の悪さなどが重なり、郊外系・カメラ系の大型家電量販店が台頭した1990年代以降は厳しい価格競争に晒された。そして、1993年にシントクやヒロセムセンなど中堅量販店が相次いで廃業したのを皮切りに、電気街の家電量販店は縮小の方向に転じていった。1990年代中期に入るとパソコン本格普及の過程でラオックスなど一時的に活況を呈する店も増えたが、2000年代初頭にはバブル景気時の拡大策のツケに喘いでいたロケットや第一家庭電器などが行き詰った。
2000年代に入ると、郊外型量販店の他にカメラ系量販店を中心とした都市部駅前の超巨大店舗との競争も本格化し、さらにパソコン需要の低迷などで業況が悪化。2005年に電気街から線路を挟んだ反対側にヨドバシAkibaが開業すると、それに押される形で急速に量販店の統廃合が進みサトームセンやナカウラなどが消え、現在では電気街側に残る大型家電量販店は数えるほどまでに減少した。現在、残っている家電量販店は大手家電量販店の傘下に入ったり(石丸電気など)、外国人向けの免税店業態に転換する(ラオックス)等して生き残りを図っているのが現状であり、かろうじて往時の姿をそのままとどめている大型店はオノデンのみという状態である。
ラジオ部品販売とも関連するもので、アマチュア無線が映画(原田知世「私をスキーに連れてって」等)などで取り上げられて大きなブームとなった1980年代までは中央通り沿いなどを中心に多くの販売店があったが、アマチュア無線市場の縮小にともない2008年時点では4社に減少した。アマチュア無線の一分野であるパケット通信がPCの知識を必要とするなど、比較的ユーザ層が近いこともあり、全盛期にハムショップとして知られた店舗には後にPCパーツ系のショップへと業態転換したものも多い(例:九十九電機→Tsukumo、トヨムラ→T-ZONE)。
なお、かつては「無線のメッカ」といえば秋葉原ではなく巣鴨であった(日本アマチュア無線連盟本部がある事に由来する)。その事から、当初は巣鴨周辺に店舗を構えて無線機器や無線関係の電子パーツを扱っていた企業が、時代の変化と共に秋葉原に移転して、現在は電子部品などのショップとなっているという歴史的経緯を持つ店舗も存在する。このケースとして知られる現存するショップには千石電商があり、その本社は現在も巣鴨駅にほど近い文京区千石に所在している。
ガレージキットの店が秋葉原に進出し始めたのは1990年代後半だが、2006年まで交通博物館が近隣に存在していたこともあり、鉄道模型はそれ以前から扱う店があった。近年は新規メーカーの参入や車両形式ごとの作り分けにより製品のバリエーションが著しく増大しており、店舗数も家電量販店での取り扱い開始やホビーショップの新規出店のみならず、中古鉄道模型専門店やレンタルボックス、委託販売を利用した中古市場の成立により著しく増加しており、日本有数の激戦区となっている。因みに現存する日本最古の鉄道模型メーカーであるカワイモデルも、秋葉原(正確には神田須田町)に店舗を持つ。
1976年にNECがTK-80の宣伝・普及のため、秋葉原ラジオ会館にショールームBit-INNを開設した事を皮切りに、当時はマイコンと呼ばれたパソコン関連商品を扱う店が生まれたとされる。後に8ビットパソコンのようなホビーパソコンと呼ばれる趣味に供するためのコンピュータ市場が発生すると、メーカー直営から専門店まで、幅広い商店が軒を連ねた。この当時より無線機器を扱っていた商店が趣味の電子機器として個人向けコンピュータ製品を取り扱った。
1980年代以降にはビジネス関連で業務のOA化が進んだ事から、家電製品などとともにメーカー製PC・周辺機器の販売が次第に増え始めた。販売商品の主流は当時日本国内で大きなシェアを占めていたNECのPC-9800シリーズやエプソンのNEC互換機で、ホビーユースでも8ビット御三家のように三強が覇権を争う市場が存在したが、この競争で主要シェアを獲得し損ねた他のアーキテクチャのみを専門に扱う店も普通に存在していたのが秋葉原らしかったと言えよう。マッキントッシュやMSXなども専門店が長く残り、地方都市では入手困難な製品も扱われていた。
1990年代初頭からは、日本国内ではまだ主流ではなかったPC/AT互換機(当時はDOS/V機と呼ばれる事が多かった)が台頭し、ショップではハンドメイドで組み立てたPCやユーザー自身で組み立てる(自作)ためのパーツを扱う店が見られるようになる。当時主流であったNECのPC-9800シリーズよりも安価で、かつこのパーツの中にはメジャーメーカーではなかなかお目にかかれない特殊な仕様のカスタムパーツも多く、アングラを好む自作パソコンユーザがアキバに集結する源流を作り出し、それに伴って数多くのパーツショップが秋葉原に林立した。
爆発的な需要を生み出したオペレーティングシステムであるWindows95のリリース以降、家電製品にかわってパソコン関連製品が販売の主流を占め、一時期は秋葉原も「パソコン街」と呼ばれる事も多かったが、PCや主要パーツの販売単価の低下による利幅の減少や、通販の一般化・家電量販店との競合などによる集客力の低下により、ここ数年は著名ショップの閉鎖・撤退が相次ぐなど衰退傾向を示している。しかし今もってなお、前述した自作PCユーザーが集う街としてのアキバは健在であり、自作PC用パーツを中心に、周辺機器類、中古・ジャンク商品等に関する限り、アキバは他地域の追随を全く許さない。またOSなどの基幹ソフトや自作パーツは世界で最初に発売される事も多い。また、従来からの店頭販売主体のパソコンショップのみならず通販主体のパソコンパーツショップや直販メーカーも、秋葉原に直売店舗を構えることを一種のステータス(信用)と見なしているケースが多く、この分野では現在直営店舗を設置していない企業の中にも過去に直営店舗を秋葉原界隈に置いた事がある企業は多い。
地理的な有利性を生かして新発売の商品をメーカーの発売日前に販売することも珍しくないが、iPadなどの人気商品の発売時には店頭に行列ができることもしばしばある。また、メーカーが発表していないマイナーなモデル(法人向けの限定モデルなど)や発表前の先行モデル(技術者向け評価版を含む)など、いわゆるバルク品と呼ばれる一般ユーザーへの発売を前提としない商品を取り扱っている店舗も存在している。
もともと電気街の前身は、軍放出のジャンク品(がらくた)と呼ばれる無線機や部品の販売である。2000年代ではパソコンやデジカメ、家庭用ゲーム機の中古品を扱う店舗も増加した。店舗を構えていることもあるが、土日祝には路上やガレージでジャンク品を販売している者も見ることができる。どの店に何があるかや何が入荷しているかというのは、目利きができる人にとってはある程度予測できるが、観光客にとっては一種の運である。ジャンク品専門店巡りは、秋葉原ならではの楽しみといえる。
近年、日本各地に郊外型の大規模中古品店舗(ハードオフなど)が増え、ジャンク品も扱われるようになってきたが、秋葉原は質・量共に他の追随を許さない。特に保守・組み込み系のジャンク扱い品は、日本でも秋葉原でしか滅多に扱われないことが多く、わざわざジャンク品を目的に秋葉原に来る人もいる。またジャンク関連の店舗は地区のあちこちに存在するため、目的のものを見つけるのは容易なようで難しく、マニアともなると目的が無くてもリピーター的にジャンク屋に足を運ぶことも珍しくない。
扱われるジャンクは、無線機器からコンピュータ関連(新旧問わずパーソナルコンピュータからサーバー関連まで)、あるいは映像音響機器のほかコンシューマーゲームからアーケードゲーム、パチンコ台などの部品や各種業務用機器類まで多岐に渡り、その各々に専門店があるほか、素人には分類不能で分解して電子部品調達することを目的とした完全な「がらくた」を専門に扱う店もみられる。
またジャンク品と並んで、使途不明なオプション品(新品を含む)などが売られるケースがある。これらは何らかの本体が必要になるが、簡単な説明(あるいは憶測)が付いていれば良い方で、店側も正体が判らない場合もある。中にはパッケージされた製品もあるが、基板が剥き出しの状態で売られ、取扱説明書もないため、端子や基板上のチップなどから用途を推定しなければならない。
ジャンク品の入荷は上述のような捨てられる予定の部品を一度に大量に仕入れるためまれに掘り出し物が含まれていることもあり、それがひとつの魅力となっている。
1960年代から1980年代にかけて、Hi-Fiオーディオの流行とともに、音楽を嗜好する需要に着目した音楽ソフト(レコード、CD)を販売する小売店が増加した。当時から販売店舗が少なかった輸入版ソフトを広く取り扱っていたため、音楽マニアが多く訪れた。1980年代後半はCDの普及とともに日本国内・日本国外問わず種類・在庫量ともに豊富な品揃えで隆盛したが、大型電気店での取扱いや外資系CDショップの国内展開、2000年代後半にはネットショップやダウンロードによる音楽配信が主流となり一時の隆盛は鎮まっているが、クラシック音楽では外資系ショップでは入手できないような稀少品が店頭に並んでおり比較的安価で容易に入手できる。1990年代からは店舗で販促のためイベントを行うアイドルなどが増加し、店頭にアイドルの等身大ポスターを掲げたり、楽曲を大音量で流しCDやDVDの店頭販売を行っている店舗もある。アニメショップ等ではアニメ・ゲーム・声優関連のソフトに特化した品揃えを行っている。
ファミコンなどの家庭用テレビゲーム機が普及した1980年代後半からはゲーマーズなどゲームソフトとその関連商品を専門に扱う店も増加し、パソコンとインターネットの普及によりいわゆるエロゲ(アダルトタッチの美少女ゲームなど)も売り上げを伸ばしてゆく。1990年代以後もゲーム・アニメ・同人誌などの文化は成長し一般にも認知されてゆき、2000年代の萌えブームに繋がっている。秋葉原ではそれらのカルチャーの発信地としてメイド喫茶やコスプレショップ、まんだらけなどの同人誌販売店やアニメイト、とらのあななどのアニメ・ゲームグッズショップ、フィギュアを販売・委託販売(→レンタルショーケース)したり、製作するためのパーツを売るボークスなどのショップが多く誕生し、2000年代初頭からも家電の販売不振を尻目に開店している。 アニメやゲームのキャラクターのポスター、看板等を店先に出している店舗も多く見られる。
セキュリティー商品の一般住宅向け用に需要が増加してきたため、防犯カメラや防犯グッズを取り扱う店舗が増えてきた。国内外を問わずに取り扱っていて高性能の暗視カメラやデジタルレコーダーなどを取り扱っている。防犯グッズは、『スタンガン』・『特殊警棒』・『防犯スプレー』・『防犯ブザー』などを置いている。
盗聴や盗撮の機器が公然と販売されている店もある。これらはマスコミによく取り上げられている。こういった商品は用途別では分類されておらず、いわゆる「セキュリティ用品」としてや、特殊な撮影機材としてなどとして、そういった特殊機材を扱う専門店が散在する。また同じ店で無線盗聴に対抗する電子機器なども扱われている。
かつては市場の町であったため、市場に出入りする人を相手とした昔ながらの大衆食堂やラーメン店などが多数あったが、市場の閉鎖によりそれらの店舗は次々と消え、当時から残っているのはサンボ、かんだ食堂、あだちなど少数である。1990年代初頭にはファーストフード店やカレー店などが若干開店、休日の中央通りには屋台が数多く見られた時期もあったが、自治体の方針により路上営業の屋台は全て消えていった。1990年代中頃から従来より店を構える喫茶店や定食屋、駅ビル内の飲食店などのほか、新規の外食産業も徐々に進出。この頃にはすでにチチブデンキが店頭の自販機でおでん缶を販売していた。
2000年代に秋葉原が再開発されて以降は、観光客をターゲットに大手外食チェーンの開業も相次ぎ、繁華街として賑やかさが増している。また中東・トルコ系の羊肉料理であるドネルケバブの店舗も数店ある。2005年6月には秋葉原駅昭和通り口に飲食店ビルアトレヴィ秋葉原(現アトレ秋葉原2)が、2006年3月には秋葉原UDXビル内に飲食街AKIBA_ICHIが開業し、2010年11月19日にはアキハバラデパート跡地にアトレ秋葉原1が開店、昼夜を問わず多くの人々に利用されている。
一方で、九州じゃんがら本店を始めとする老舗ラーメン店が多く出店している。2004年に九十九電機がラーメンマップを配布したこともニュースサイトなどで報じられた。さらにここ近年ではカレー専門店の出店も相次いでおり、以前からあったカレー専門店やチェーン店、インド料理店など、カレー店の激戦区と化していると報道された。。
喫茶店も、前述のようにサブカルチャーの台頭に伴いメイド喫茶のメッカと化しているほか、ドトールやプロント、スターバックスなどの従来の大手チェーンも出店しており、多様化している。また、秋葉原周辺が元来オフィス街でもあり、同時に秋葉原駅はターミナル駅でもあることから、仕事帰りに寄る人や遅い時間までいる人をターゲットに閉店時間の遅い店舗や深夜営業を行う店舗も増え、居酒屋やバー、カラオケボックスやネットカフェも多数秋葉原に出店している。
神田青果市場があった時代から営業する青果卸売店(千代田海藻) 以前はアキハバラデパート南側出口前で様々な種類の商品の実演販売が行われており、ひとつの秋葉原名物として人気を集めていた。また、外国人観光客向けの免税店が数多く存在しており、軒先には英語、中国語、韓国語など様々な言語の看板やポップを見ることができる。日曜日の午後は中央通りが歩行者天国となり多くの人々で賑わう。
全国でも珍しいおでん缶の自動販売機は1990年代初頭から存在している。2000年代半ばごろからTVなどで報道されたことにより名物となり、自動販売機の設置されていた場所は一時は観光スポットにまでなった。現在は周辺のゲームソフト店やコンビニエンスストア、ドン・キホーテ秋葉原店でもおでん缶を販売している。冬季は保温販売を行っているが夏季は常温販売のみの店が多い。 1990年代までの秋葉原の電機店・パソコンショップの多くは開店時間が遅く、閉店時間が早い店舗が多かった(正午頃開店し20時頃には閉店など)。電気街は夜になると営業する店もほとんどなかったが、再開発後はゲームセンターやドン・キホーテ、ヨドバシカメラなど多くの店舗が遅くまで営業を行っており、現在ではパソコンショップやアニメショップ、メイド喫茶なども営業時間を21時~23時頃までにしている店舗が多い。
神田青果市場が去ってから20年以上経過した今でも、当時から営業している青果卸売店が一部残っている。戦前から戦後にかけ神田青果市場が営まれていた名残として、明神坂ガード下の柱には「蔬菜(そさい)東口売場」との文字が刻まれている。
秋葉原駅 JR東日本総武線・山手線・京浜東北線
東京地下鉄日比谷線
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス JR線は総武緩行線ホームが3階、山手・京浜東北線が2階ホームを使用している。東西にそれぞれ昭和通り口・電気街口が、その中間に中央口がある。
東京地下鉄日比谷線は昭和通り直下を通っており、JR線からは昭和通り口が隣接している。
つくばエクスプレスは山手・京浜東北線と昭和通りの中間に位置する地下にあり、入り口はJRの中央口に近い。
末広町駅 東京地下鉄銀座線 電気街の北端。中央通りと蔵前橋通りとの交差点(外神田5丁目交差点)直下に駅があり、上下線ホームの相互連絡通路はなく、逆側のホームへ移動するには地上へ出て交差点を横断しなければならない。上野広小路駅(銀座線)・湯島駅(千代田線)も末広町駅から徒歩5分程度の場所にある。
電気街は末広町駅と秋葉原駅との間の中央通りを中心に広がっており、この駅を利用して秋葉原を訪れる人も多い。
神田駅 東京地下鉄銀座線 電気街よりも南、中央通り直下。6番出入口(2009年7月30日からビルの建築工事のため閉鎖中)は万世橋から南へ約200メートルの須田町交差点にあり、電気街の南寄りの地域へは末広町駅より近い。
岩本町駅 東京都交通局都営地下鉄新宿線 神田川を挟んで南側にあり、A3出口を出て国道4号線および首都高速1号上野線に沿って北へ進み、和泉橋を渡るとまもなく秋葉原駅や電気街へ到着する。電気街南東の書泉ブックタワー界隈まで、徒歩3分ほどの距離。
淡路町駅・小川町駅・新御茶ノ水駅 東京地下鉄丸ノ内線(淡路町駅)
都営地下鉄新宿線(小川町駅)
東京地下鉄千代田線(新御茶ノ水駅) 神田川の南側であるが、電気街南端には徒歩10分足らずの距離。都営新宿線であれば、岩本町駅よりも小川町駅のほうが電気街、特に西寄りの地域には近い。また、新御茶ノ水駅からも電気街へは徒歩10分程度かかる。小川町駅 - 淡路町駅の地下通路よりは、御茶ノ水駅乗り換え口から出て聖橋を経由し、電気街西端エリアに向かった方が近い。
御茶ノ水駅 JR東日本中央線快速、中央・総武線各駅停車 聖橋出口から電気街西端エリアまで徒歩5分程度で到達できる。
御茶ノ水駅から秋葉原方面へ走行中の総武線車内から秋葉原電気街を眺望できる。
都営バス [秋26]秋葉原駅 - 清澄白河駅 - 境川 - 旧葛西橋 - 江戸川車庫 - 葛西駅 運行頻度は毎時約2 - 3本。
以前はJR電気街口サトームセン(現:LABI秋葉原パソコン館)前に停留所があったが、つくばエクスプレス開業に併せた駅周辺整備により、現在の交通広場に移転された。またそれに伴い、休日の歩行者天国実施時間帯の秋葉原駅付近における経路変更も終了となった。
[東42乙]秋葉原駅 - 蔵前駅 - 東武浅草駅 - 清川 - 南千住 運行頻度は、平日、土曜日は、8時、9時台約30分間隔、14時10分発(平日のみ運行)及び17時16分発。休日は、11時~16時台の間約40分間隔。
東京地下鉄日比谷線は昭和通り直下を通っており、JR線からは昭和通り口が隣接している。
以前はJR昭和通口・昭和通り上発着だったが、こちらもつくばエクスプレス開業に併せた駅周辺整備により、現在の交通広場に移転された。
[茶51]駒込駅南口 - 向丘二丁目 - 東大正門 - 本郷三丁目駅 - 御茶ノ水駅 - 秋葉原駅 運行頻度は毎時約2 - 4本。
早朝・夜間は駒込駅方面からは御茶ノ水駅止まりであるが、外神田二丁目停留所から電気街へ徒歩3分ほどで行ける。ただし駒込駅方面への乗り通しは認められていない。秋葉原駅交通広場まで乗り入れている朝 - 日中は万世橋停留所で降りると電気街に近い。
都電19系統(通り三丁目 : 王子駅)に由来を持ち、かつては東京駅と王子駅を結んでいた系統である。交通事情の変化などによる区間の変更を経て、秋葉原駅には2007年に初乗り入れとなった。
高速バス(京成バス・東京ベイシティ交通) 秋葉原駅・東京駅-東京ディズニーリゾート・新浦安方面行(パーム&ファウンテンテラスホテル) 秋葉原発平日16本(内1本は、東京ディズニーランド止り)、休日10本。13時台発までは、東京ディズニーシー・東京ディズニーランド経由)。交通広場から発着する。
空港リムジンバス(京成バス・千葉交通) 秋葉原駅 - 成田国際空港(廃止) 1日3往復。交通広場から発着。(2008年3月に廃止された)
首空港リムジンバス(東京空港交通) 秋葉原駅 - 東京国際空港(羽田空港) 秋葉原発は6本、羽田発は8本。交通広場から発着する。
東京地下鉄日比谷線は昭和通り直下を通っており、JR線からは昭和通り口が隣接している。
夜行高速バス(遠野・釜石号:国際興業・岩手県交通) 池袋駅・秋葉原駅・上野駅 - 新花巻駅・遠野駅・釜石駅・大槌駅 1日1往復。交通広場から発着する。
夜行高速バス(大阪 - 銚子線:千葉交通・南海バス) 銚子駅…(中略)…秋葉原駅 - 京都駅・なんば高速バスターミナル 1日1往復。交通広場から発着する。他社の東京駅など山手線主要駅から発着する京都・大阪方面の同等レベルの路線バスに比べ、運賃が安い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、一部改編 Copyleft(c)
金券ショップとは、各種金券・航空券・回数券・株主優待券を取り扱う古物商のお店です。金券ショップは別名、チケットショップや金券屋ともいわれ、 基本的に金券の売買は1枚から可能です。金券ショップ併設や単体で、金券や回数券を販売する自動販売機の設置も行っています。
郵送による金券の販売や買取を行っている金券ショップもあります。金券ショップは、1997年7月以前は、金券のみ取り扱う古物商は、届出が必要なかったが、法の改正後は金券ショップもリサイクルショップ同様に届出が必要となりました。金券ショップでは各種金券の販売・買取以外に委託販売にてもコンサートやスポーツ、ミュージカルなどのチケットを取り扱っています。
金券ショップは節約生活の重要な位置をしめています。たかが10円、20円と考えるかもしれませんが、利率で考えると1%~2%はお得です。
預金でも1%の利息はつきません。また、金券は運用期間も短く、5%以上お得なものさえあります。さらに、金券は使う分だけ購入すれば投資のリスクも低くなります。金券はとてもお得なものなのです。
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